SSブログ

つつましく生きる、ガラスの動物園 [芝居 theatre]

「ガラスの動物園」
bunnkamura シアターコクーン
4月3日 まで  当日券ある場合あり

シスカンパニー

アマンダ 立石凉子
ローラ 深津絵里
トム 瑛太
ジム 鈴木 浩介
演出 長塚圭史
シスカンパニー


とても繊細なドラマである。第1部は、ほとんど独白で、母子に存在する不安と社会の不安定さが綴られる。

トム(瑛太)がまず登場する。このトムの当時の背景の説明をする。この背景の場面がとても重要である。なぜなら、そこから始まるトムを含む家族とその友人の物語の序章であることは言うまでもないが、同時に物語の根幹であるからだ。1930年代といえば、ドイツ・ナチスの台頭とナチズムのヨーロッパ各地への浸透し始め、スペインのゲルニカ襲撃(1937年4月)、日本では、デフレ、日中戦争、そして舞台であるアメリカでは、金融崩壊とニューディール政策、時代は、再び戦争の時代への階段を上っていくその直前の時代である。

この芝居の中心である、アマンダ(母)、ローラ(姉)、トム(弟)の母子は、遠距離電話事業と浮気し出て行ってしまった父の帰りをわずかばかり期待しながらも、つつましく生活する家族である。この家族の中心は、アメリカ南部育ちのアマンダ(母)である。ローラは、足に障害を持ち、内向的、トムは、反体制的で、倉庫で仕事をしながら、詩を書くという、モダンに夢を持つ青年である。南部育ちの母は、お祈りを欠かさない。

彼らの生活は慎ましやかである。その中でも、わずかばかりでも幸せを探している。物語の第1幕は、ほぼ独白に近い形で進んでいく。それぞれが個々の不安感を提示させていく。それは、個々ではなるが、実は、当時の社会全体への不安さを体現している。1部から2部へと橋渡しするのが、トムの先輩同僚・ジムである。ジムは実はローラの高校時代の同窓生である。2部は彼が中心となる。夕食会に招待され、ローラと会話するうちに、ローラの引っ込み思案、不安神経症的な要素を取り去ろうとする。例えば、彼女の義足の音、彼女だけが聞こえ、他には聞こえなかった。そういえば、第1部のビジネススクールも途中で辞めてしまっている彼女だが、自分自身の存在に自身が不安、彼の言葉で言えば、インフェリア-コンプレックス である。ジムの明るく、素直な発言に次第にローラは心を開いていく。そして、彼女が大事にしていたガラスの動物園にある一つのガラスをあげようとするが。。。。

その芝居の中心は、もちろん登場人物4名である。
しかし、今回観ていて、登場するたびに鳥肌が立ってしまったのが、ダンサーの存在。場面場面でダンサーが舞台に登場し、ダンス(舞踏)と小道具を”知らぬ間”に移動させて、”知らぬ間”に去っていく。ここにこそ、今回の芝居の妙があると思ったのです。そして、原作の戯曲にはすでに多くの指示が書かれていますが、それにとらわれずに作り上げた演出にも拍手である。この作品、独白は時代背景をそれぞれの登場人物に投影させているわけですが、とても繊細な芝居なのです。特に、ローラは、障害とそれに伴った不安な振る舞いは、発する声もか細く、聞こえにくい、それこそが、この作品の狙いだと思います。か細く(=つつましくも)も、その中でも幸せをみつけて(=ガラスの動物園)、生きていこう、という、とても苦しい時代(アメリカにとっても)の生をうまく描ききり、現代によみがえらせたのだと思います。
また、この芝居は、それぞれが生きていくという中でも、家族のきずな、母子のきずな、は切っても切れないものであることも示しています。

今回、実は深津絵里さんを中心に観たいと思っていたのですが、ダンサーさんにやられました。その点でも是非、観て欲しい芝居です。

ガラスの動物園 (新潮文庫)

ガラスの動物園 (新潮文庫)

  • 作者: テネシー ウィリアムズ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1988/03
  • メディア: 文庫
    欲望という名の電車 (新潮文庫)

    欲望という名の電車 (新潮文庫)

    • 作者: T.ウィリアムズ
    • 出版社/メーカー: 新潮社
    • 発売日: 1988/03
    • メディア: 文庫

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。