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愛の罪 [映画 le cinema]

はじめからインパクトのある映像である。そして、これが、東電OL殺人事件からインスパイアーされた映画であることはすぐに想起できる。昼間は、エリート(今作では、大学助教授)、夜は風俗嬢。この表と裏の顔をもつ一人の女性の姿を、内向きで貞淑な妻の心が開放されて、外向きに(劇中では、淫乱に)なる過程を通して、どうしても「外の社会」は「男社会」であると信じて疑わなかった、21世紀直前の渋谷円山町を通して描いている。そう、20世紀の日本は、男が外(会社という社会、社会という会社)、女は中・内(家内という中・内)であるという固定観念が定着していた。1990年後半、男女雇用機会均等法以降の女性の社会進出が促進されたことにより、女性が外で活躍する機会が多くなってきた。大学助教授である尾沢は、女性としてエリート、名誉ある地位にある。彼女は、男が外、女は内という概念が崩れていく様を体現している。昼の社会は、外向けの顔、夜の顔は、内向けの顔(ここでいう、淫売、淫乱、娼婦の、)。「落ちるところまで落ちろ」。彼女は、いずみに言う。内の自己、外の自己、彼女は、大学内でも内の自己をひけらかす。いずみにその姿を見せることで、外的抑圧に押しつぶされてきた内なる自己の開放を促している。セックスとは、契約である。「愛のないセックスは金を取れ」。尾沢のこの言葉に、この作品の主題のひとつが象徴されている。まさに、愛の罪。
 この二人の第三者的視点で見ていくのが、水野美紀演じる刑事和子である。良妻賢母。外でも確固とした地位がある。しかし、劇の始まりのみせる和子は、ホテルで不倫をしている姿である。私は、何なのか?どういう存在なのか。この作品は、このテーゼを、男女雇用機会均等法によって社会進出が進んだ1990年代後半のあの象徴的事件を題材に、3人の女性が、内ある自己から外の自己へ開放されていく様を描いている。自己とは何か。精神分析学では、社会の発展とともに研究され、研究の主対象としてあげられてきた私という個の自己が、外と内があり、それが社会の発達とともに分裂状態になっていった。しかし、自己はそれほど強固ではない。外も内も私という自己なのだ。その薄皮も一つもない表と裏の自己を制御するには、まぎれもない自己であるが、本作に描かれる3人の女性と1人の古典的女性の言動は、エリート、貞淑、良妻賢母といった、古典的固定観念としての女性が、開放されていく瞬間を描いたものだ。女性の様を単にエロティックに描いた作品として捉えるべきではない。メディアは、なぜか女優が脱ぐことに注目してしまっている。おしい。けれど、園子温に乾杯。
恋の罪―愛にさまよう女たち (リンダブックス)

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